平成21年 4月3,4日 岐阜は 桜が満開でした。
親戚の法事があり、3,4日と休みをもらい、岐阜に行って来ました。 30年前の私のヨット旅行に米60k持って、見送りに来てくれた人が亡くなったんです。。 |
最初の勤務地が名古屋だったので、岐阜の親戚の家には、よく泊まってご馳走になっていました。 なつかしい長良川です。 宿は長良川のほとりで、ちょうど鵜飼いの船の発着場でした。桜が満開です。 |
勤務先を休ませ、子供も道連れです。河原には 昔の鵜飼い船が置いてあります。 |
部屋の窓からも 桜が満開 |
宿は金華山の麓にあって、周りは桜の名所 岐阜公園です。目の前の山を見上げると |
見上げると はるか山頂に小さく 岐阜城が見えますが、携帯カメラでは撮らないので、資料から拝借。 夜はライトアップしていて、城を見ながら寝ることができました。 |
次の日、朝5時に起きて 思いつきで 登山開始、約1時間で上れるというので、帰りはロ−プウエイで帰れば、朝飯に間に合うと かんたんに考え 決行しましたが、、、、、。 |
ところが、すごい急な登山道というか、ほとんど崖、絶壁、、、、足がガクガクしてきます。 |
途中何度も休んで やっと頂上、真下矢印に宿が見えます。母親の祖父は遠く赤丸の処。近くには岩佐町というところもあり、周りは岩佐だらけです。先祖は農家なんでしょうね。 信長に逆らった荒木村重の妻が岩佐姓で、ここの出らしく、信長が荒木家族を処刑した際に、生き残った子が岩佐又兵衛といって絵の名人です。 荒木の妻は今楊貴妃といわれた美人だったそうですから、岩佐家系は美人なんだぞ、と、子供たちには教えています(笑) |
頂上には岐阜城、意外と小さい城です。織田信長が命名したとか。 |
関ヶ原の戦いのあとで、織田秀信が立てこもり、徳川軍に破れたとかで、この急な断崖を兵士が登って 戦ったのかと、感無量です。 ちょうど今、徳川家康(山岡荘八著26巻)を読んでいて、この戦いの部分だったので、実物を見て、実際に崖を登り体感できて 良かったです。 |
帰りはロープウエイで降りようと思っていたら、朝早すぎて まだ動いていないとかでガックリ、帰りも歩きです。葬式用のズボンしかなかったので持参のパジャマを着たのは良かったのですが、靴は、葬式用の革靴を履いていたので、岩の上もツルツル、四つ足になって、降りてきたので、革靴はドロドロ、膝は がくがく、もうクタクタになって、降りてきたら、桜が満開、里の春です。 往復2時間、汗ビッショリだったので、さっそく展望露天風呂に入って、花見風呂でした。 行きは。千歳から名古屋中部空港、岐阜でしたが、帰りは、新幹線で東京、羽田、千歳9時着の旅でした。急な旅行は格安パックも使えず、キツイですが、これで母親もキット喜んでいてくれるでしょう。2日間留守にしましたが、ボート擬装作業の完成をお待ちのお客様には、この場を借りて お詫びします。(笑) |